2009年06月16日

尾はおおむねその胴体ほどの長さであるが

尾はおおむねその胴体ほどの長さであるが、ジャパニーズボブテイルなどのように極端に短いものや、マンクスのように尾が無い個体もある。尾の役割は、感情を表すほか、走行時や跳躍・着地の際に体のバランスを取る役割がある。イエネコについては尾が無くても行動にほとんど支障は無いと考えられている。

従来の日本産のネコは、世界に現存するほとんどの猫に比べ、ジャパニーズボブテイルのように尾は半分以下も無いことが普通だったが、戦後(太平洋戦争終了後)以来日本在来のネコに海外のネコの血統が混入し続けた結果、一部地域を除くほとんどの場所で尾の長い個体が大半を占めるようになっている。

脊髄と直結しているため、非常に痛覚が強い。切断されると四肢を切断されるよりも痛がるほどである。よって、尾を持って引っ張ったりすると温厚な個体でも抵抗することがある。

尾の付け根の部分には性感帯があるという噂があるが、今のところ不明である。

尾による感情の表現 [編集]
尾によって表す感情は以下のようなものである。
サンバ (ブラジル)
土木工学
ラグビー
早食い・大食い
ボウリング
融資
パルクール
人材派遣
綱引き
株式
宮沢賢治集
みんなの税金
高知の湯めぐり
世界歴史
葬祭マナー
麦茶百科
四季の祭り
秋田の情報
リス情報
アイス工房

立てている
比較的機嫌の良いとき。歩くときは立てていることが多い。個体によっては立てながらくねくねと動かしている場合もある。
横に振っている
不快なとき。イヌから類推して「喜んでいる」とするのは誤解である。飼い主に呼ばれると数回振って応えることもある。また、狩りや遊びなどで興奮しているときも横に振ることがある。
後肢の間に巻き込んでいる
おびえているとき。通常、耳を後ろに伏せていることを伴う。
大きく膨らませている
威嚇しているとき、または、驚いたとき。威嚇しているときは全身の毛を逆立てることを伴う。
他のネコや、人間に巻きつける
相手に親愛の情を持っている。

指 [編集]
ネコの指の数は、通常前足が5本、後ろ足が4本であるが、多指症という奇形が頻繁に見られ、後ろ足に5本、あるいは前足に6本というようなネコも少なくない。前足、後ろ足に各7本、合計28本の指を持つネコがギネスブックに記載されている。

肛門嚢 [編集]
不意打ちを食らうと、肛門嚢から臭いにおいを発することがある。

2009年05月30日

弥生時代の集落には様々な例があるが

一般的に発見されるものとして、居住施設としての竪穴住居、貯蔵施設としての貯蔵穴や掘立柱建物、ゴミ捨て場や土器の焼成など様々な用途に使われたと考えられる土坑(不定形の穴)、集落の周りを巡らせたり集落内部を区画するように掘られた溝(環濠や区画溝など)の遺構がある。

弥生時代の人々の住居には、主として竪穴住居が使われた。平面形態は円形・方形が主流で、長方形・隅丸方形がそれに次ぐ位置を占めるが、地域によって多様な様相を示す。 早期の北部九州の住居には、縄文時代晩期の系譜を引き継ぐと考えられる平面方形のもののほかに、平面円形で中央に浅い皿状のくぼみを持ち、その両脇に小さな穴(柱穴か)を1対持つ特徴的な形態の住居が存在する。 この形態の円形住居は、同時期の朝鮮半島南部に広く分布しており、韓国忠清南道扶余郡松菊里遺跡で最初に注目されたことから、「松菊里型住居」ともよばれる(ただしこの名称は日本国内に限定して使用され、韓国考古学界ではむしろ「松菊里類型」という用語は住居跡の形態のみでなく土器や石器組成を含めた文化総体の名称として用いられることが一般的となっている)。 この松菊里型住居は、縄文時代後・晩期に西日本一帯でしばしば見られる円形プランの住居跡とともに、弥生時代前期から中期にかけて主流となる円形住居の祖形となったと考えられている。 弥生時代中期には、住居のプランは北部九州から西日本一帯で円形プランのものが卓越し、一部に隅丸方形のものが見られるが、弥生時代後期にはいると西日本一帯で突如として平面プランが方形あるいは長方形へと変化し、次第に長方形へと統一されていく。
産業 フレグランス 調査 クレジット 老人 葬儀 アレルギー バイク マッサージ リサイクル 学習 海外 プリスクール ホテル 脱毛 ビジネス コスメ 介護サービス リフォーム マッサージ 育児 審美歯科 植物 パソコン インテリア 教育 信越北陸 プチ整形 公園 メイク 経営 仏具 しみ取り 人探し 引越し マッサージ 出会い 審美歯科 自動車 学習 生涯学習 生涯学習 近畿東海 豊胸 エージェント 脱毛 分譲 防犯 審美歯科 運勢

このほか、南部九州には「花弁型住居」と呼ばれる特異な平面プランの住居跡が分布し、また兵庫県西部(播磨)地域には円形住居の床面中央部に1O(イチマル)土坑と呼ばれる特殊な遺構を持つ例が分布するなど、竪穴住居の形態には多様な地域性があり、注目される。

弥生時代の住居としては竪穴住居が出土例の大半を占めるが、このほかに平地式住居や掘立柱建物が想定される。 しかし、平地式住居の場合、生活面が削平されて(けずられて)しまうと生活の痕跡の大半が失われてしまうことから、住居として把握することがきわめて困難になってしまうため、これまでに把握された平地式住居の具体的な例はきわめて少ない。 また、掘立柱建物の場合後述する倉庫などとの区別が平面プランだけでは区別できないため、これも確実な住居の例は指摘されていない。

弥生時代には、主に米を貯蔵する倉庫が発達した。 早期には北部九州など一部の集落に掘立柱建物の倉庫が半島から伝播するが、前期までに地下式の倉庫が主流となり、掘立柱建物はほとんど見られなくなる。 地下式倉庫は円形のものが主流で、しばしば方形・長方形のものが見られ、いずれも断面形態がフラスコ状を呈する。これらは「貯蔵穴」と呼ばれる。

中期前半から中葉にかけて、掘立柱建物の倉庫が西日本一帯に展開する。 主な形態のものは柱間が1間×2間の規模のもので、これに1間×1間、1間×3間などのバリエーションが加わる。この倉庫の様相は弥生時代を通じておおよそ変化はなく継続する。 弥生時代末から古墳時代初頭になると、2間×2間の総柱式の建物が出現し、これが主要な倉庫の形態となる。

2009年04月27日

生命維持

ISSの環境制御・生命維持システム(ECLSS)は、気圧、酸素濃度、水、火災消火、その他の要素を提供もしくは制御する。エレクトロンシステムは、酸素を発生してISSに供給する。最も優先される生命維持システムはISSの空気制御だが、さらに乗員が発生したり使用したりした排水や水分の収集、処理、保存もする。たとえば、システムはシンク、シャワー、尿や結露から水をリサイクルする。人体が出す副産物を空気中から除去するには、主に活性炭フィルタを用いる。

姿勢制御
ISSの姿勢(方向)は、2つのメカニズムで維持される。通常、システムはコントロール・モーメント・ジャイロ(CMG)を使ってISSを正しい方向、すなわちデスティニーをユニティの前方に、Pトラスを左舷側に、ピアースを地球側(底側)に向ける。CMGシステムが飽和すると、ISSの姿勢をコントロールすることができなくなってしまう。この場合、ロシアの姿勢制御システムが自動的に引き継ぐように設計されている。ロシアのシステムはロケットエンジンを使って、ISSの姿勢を維持しつつCMGシステムが不飽和化できるようにする。これは、第10次長期滞在の間に実際に起こった。 スペースシャトルオービタがISSにドッキングしている時は、オービタを姿勢制御に用いることもできる。 STS-117ではS3/S4トラスが設置されていたので、この手順が使われた。

チェロキー通販紹介サーチ
学習指導・教育関連学習システムサイト
旅館・旅館関連宿泊タウンナビ
オーストラリア美容全国通信ナビ
ダンディー ビジネスビジネス紹介
アレチネズライフスタイルストア-情報
イスカンダル健康トレンディ総合
マドレーヌ限定通販サーチ
語学・学校関連まなび教育ネット
ホテル・キャンプ場関連旅行タウンナビ

高度制御
ISSは最低高度278 km、最高高度460 kmの範囲の軌道に維持される。通常の最大の制限は、ソユーズ宇宙船のランデブーが可能な425 kmである。ISSの高度は大気の抵抗と重力傾斜効果によって絶えず低下しているので、毎年数回、より高い高度にブーストする必要がある。高度のグラフは、毎月約2.5 kmずつ徐々に低下することを示している。ブーストはズヴェズダの2基のブースター、ドッキング中のスペースシャトル、プログレス補給船、あるいはESAのATVで実行することができる。およそ2周回(3時間)に渡ってエンジンを作動させ、数km高い高度に押し上げる。スペースシャトルが大きなペイロードを楽にISSへ運べるように、高度は比較的低く抑えられている。

2009年04月11日

仮説上の天体

仮説上の天体(かせつじょうのてんたい)では、学問上の仮説として存在が提唱され、後に存在が否定されたか、存在が確認されていない天体について記述する。

インド占星術など、科学ではないが占星術や神秘学などでの仮説上の惑星についてもこの項目で解説している。

バルカン [編集]

バルカン(ウルカヌス)仮説は、水星より内側にも惑星が存在するのではないかという説。もともと海王星は、天王星の外側に惑星がないと天王星の軌道のずれが説明できないため、存在の仮説が立てられて発見に至ったが、同じように水星にも軌道のずれがあったため、水星の内側にも惑星が存在するのではないかという仮説がユルバン・ルヴェリエによって立てられた。

後に存在しないことがわかり、水星の軌道のずれもアインシュタインの相対性理論にて説明付けられた。

名称はローマ神話のウルカヌスに由来するが、日本では英語名の「バルカン」でよく知られる。

惑星X
惑星X仮説は、海王星や冥王星の外側にもさらに惑星が存在するという説。第9番惑星(超海王星)として、あるいは冥王星の発見から惑星除外までは第10番惑星(超冥王星)として探索が行われてきた。

もともと海王星は、天王星の外側に惑星がないと天王星の軌道のずれが説明できないため、存在の仮説が立てられて発見に至ったが、天王星と海王星にもさらにそれだけでは説明できない軌道のずれがあったため、パーシヴァル・ローウェルらによってさらに外側に大型の惑星が存在するのではという仮説が立てられた(海王星の軌道がティティウス・ボーデの法則の7の位置(第9番惑星の位置)に当たらなかったためでもある)。

1930年に冥王星が発見されると、惑星Xの探索は決着がついたと思われた。しかし、その後の観測が進むにつれ、冥王星の質量は海王星軌道に影響を及ぼすにはまったく足りないことが明らかになり、探索は振り出しに戻った。

現在では仮説の前提であった天王星や海王星の質量が推定より小さかった事が判明し、このような意味における惑星の存在は否定された。一方、エッジワース・カイパーベルトの外側に極端な楕円軌道を持つ外縁天体(散乱円盤天体)が存在する理由を説明するために改めて惑星X仮説が取り上げられるようになり、2008年には神戸大学のグループがその軌道の理論的予測を発表した。

ネメシス [編集]

ネメシス (Nemesis) 仮説は、太陽に伴星が存在するのではないかという説。

リチャード・ミューラーが著書『恐竜はネメシスを見たか』などで提唱した、2600万年周期で太陽を回る伴星。2600万年ごとにオールトの雲を乱し、太陽系に彗星が無数に飛来することにより恐竜などの大量絶滅が起きたとされる。

赤色矮星もしくは褐色矮星であるため非常に暗いが観測は可能であるとされる。にもかかわらず見つからないのは単に大きな固有運動を行う恒星であると見なされているからであると説明する。公転周期が大きすぎるため、他恒星の重力の影響で存在できないとも言われている。

仮説上の衛星
土星の2つの衛星
ガリレオ・ガリレイは、1610年、土星の環を、土星の左右に並ぶ2つの衛星だと誤認した。1616年の観測では、観測条件がよかった(地球から見た土星の傾きが大きくなった)ため、衛星でないことが確認された。ただし、ガリレオは環を「取っ手」と表現し、最後までリングだとは気づかなかった。
ネイト
17世紀から19世紀にかけて度々観測された金星の衛星。その存在について長年議論が続いていたが、最終的には否定された。
テミス
1904年に観測された土星の10番目の衛星。後に誤りであったことが判明した。
コーディレフスキー雲
1950年代から70年代にかけて地球と月のトロヤ点に観測されたといわれる塵の雲。その後は観測例がほとんどないため、実在を疑われている(実在するとしても観測は極めて難しいと考えられている)。

オールトの雲
オランダの天文学者ヤン・オールトは長周期彗星や非周期彗星の起源としてオールトの雲という太陽系を球殻状に取り巻いていると考えられる仮想的な天体群の存在を主張している。2007年において確認されている太陽系天体の中で、オールトの雲に属すると推測される天体は長周期彗星や非周期彗星(前者を後者に含めることもある)のみである。詳細は非周期彗星の一覧を参照。

仮説上の系外惑星 [編集]
ピート・ファンデカンプは、アストロメトリー的観測に基づいてバーナード星の惑星の存在を1936年から主張していた。惑星の公転周期は25年とされ、一時期その存在はかなりの信憑性を持って語られていたが、さらなる観測により1970年代までに否定された。ファンデカンプの時代には他にもいくつかの系外惑星の発見が報告されていたが、その後の観測によりいずれも誤認であることが判明した。

太陽形生成論上の仮説 [編集]

第5惑星 [編集]
ここでの第5惑星とは、現実の太陽系第5惑星木星のことではなく、その手前の、火星と木星の間にある小惑星帯がかつてひとつの惑星であったとする仮説である。ティティウス・ボーデの法則の3の位置(第5番惑星の位置)に当たるため、かねてから惑星の探索が行われた。結局見つかったのはケレスをはじめとする小惑星であったため、かつてこれらはひとつの惑星だったのではないかという説が立てられた。しかし小惑星帯にある小惑星をすべてあわせても地球の月の1/35程度しかなく、現在では木星の重力の影響で惑星になることができなかった微惑星の名残りと考えられている。たとえこの位置に小規模の惑星があったとしても、太陽系の創成期にあたる数十億年以上前であろう。

また、上記とは別に、後期重爆撃期を説明するために第5惑星が仮定されることがある。仮説上の第5惑星は火星と小惑星帯の中間の軌道を持ち、当初は円軌道を周回していたが、太陽系形成後数億年に軌道が不安定化し、地球をはじめとする岩石惑星やその衛星への小天体の衝突が頻発する時代(後期重爆撃期)を招いたとされる(詳細は後期重爆撃期#第5惑星説を参照)。

テイア
月の形成を説明する仮説の1つ、ジャイアント・インパクト説において、地球に衝突したとされる天体(原始惑星)をこの名で呼ぶことがある。

その他の原始惑星 [編集]
テイアの他にも、以下のような原始惑星を想定する仮設がある。

水星のマントルが極めて薄いのを、原始惑星の衝突によりマントルが吹き飛ばされたと説明する仮説。
火星の北半球と南半球の地形が大きく異なるのを、北極に衝突した原始惑星による巨大クレーターが北半球を覆っていると説明する仮説。
海王星自転軸の大きな傾きを、原始惑星の衝突によるモーメントで説明する仮説。

破壊された衛星・彗星 [編集]
土星の輪は、数百万年以上の時間スケールでは安定でないため、衛星が比較的最近破壊されて生まれたとする仮説がある。

木星の衛星はいくつかの「群」に分類されるが、ヒマリア群・アナンケ群・カルメ群・パシファエ群の衛星はそれぞれ軌道に共通点が多く、かつてはそれぞれ1つの大型衛星だったのが破壊されたと考えられている。

彗星にも、クロイツ群など、かつては一つの彗星だったと考えられるグループがある。

その他の仮説 [編集]

反地球 [編集]

反地球仮説は、地球と同じ軌道上の、太陽をはさんだ反対側のラグランジュ点L3に惑星が存在するのではないかという説。ピュタゴラス学派によって立てられた。

この仮説は月の裏側と同じで地球から観測できない盲点であるという発想から生まれた説だが、実際は地球の太陽に対する公転軌道は楕円形であるため実在していれば地球から直接観測することは可能であるし、地球近傍小惑星や彗星などの軌道にも影響を与えるはずである。それら直接および間接的な観測によって存在しないことがわかっている。

ニビル/氷惑星 [編集]
第10番以降の惑星のうち、普段は冥王星の外にありながら、小惑星帯や地球にまで迫る極端な楕円型の軌道を持つもの。代表格はニビルと氷惑星である。このような軌道をとる天体として長周期彗星やダモクレス族と呼ばれる小惑星が実在するが、惑星クラスの天体については他の惑星に及ぼす重力の影響が観測されないことから、存在は否定されている。

ニビルとティアマトの伝説は、考古学者ゼカリア・シッチン (Zecharia Sitchin) らがバビロニア神話の遺跡の文言を解読して提唱した説。3600年周期の楕円軌道で太陽をまわる惑星で、アヌンナキという知的生物が住むという惑星ニビルは、第5番惑星ティアマトに自らの衛星を衝突させ、ティアマトを崩壊させたとされる。ハインリッヒ・シュリーマンによって実在しないと考えられていたギリシア神話に登場するトロイア遺跡の発掘以降、神話の出来事を実在したものと解釈する風潮がおき、その極論によって考え出されたものである。

氷惑星仮説は、地球にまで迫る軌道を持つ惑星により、地球に水や生命がもたらされたとする説。高橋実が著書『灼熱の氷惑星』で提唱した。後にアニメ『宇宙戦艦ヤマト』に登場したアクエリアスの名でも知られる。

インド占星術 [編集]
インド占星術では従来知られていた七曜星のほかにラーフ(羅睺星)とケートゥ(計都星)という2つの惑星を想像して九曜星としている。これらは黄道上にあるので見えず、日食や月食を引き起こすと考えられていた。インド神話によれば、ラーフはもともと複数の首と尾を持つ蛇(あるいは竜)であったとされるが、乳海攪拌の際にアムリタをこっそりと飲み、これを知ったヴィシュヌのチャクラによって胴体を2つに引き裂かれ、上半身が暗黒星ラーフ、下半身が彗星ケートゥになったといわれる。

ケートゥ(ケツ / 計都星 / ドラゴンズテイル)
九曜の1つ。インド神話やヒンドゥー教、仏教などによれば彗星あるいは流星とされるが、他の九曜と同じく惑星として扱われる。
インド占星術では黄道と白道の交点のうち、月が北から南へ通過する点にある惑星とされる。
ラーフ(羅睺星 / 黄幡星 / ドラゴンズヘッド)
九曜の1つ。インド神話やヒンドゥー教、仏教などによれば日食や月食を引き起こす謎の暗黒星。
インド占星術では黄道と白道の交点のうち、月が南から北へ通過する点にある惑星とされる。

ハンド パーム ドシア バンス ソルト オース サイバ レスト ソナー プラハ デイする 未来の喜び 足跡 せきりん シーツ 金乃竹 ブルーロー ダンエス サイエン パネル 風の華 ファイア レーション フレット リファレンス マルチーズ キールサエ ヤグルマ草 平核無柿 バイバイ オースチン はそく トウヒ ラスト フレーク ヒストリー デコル かおう 百の城 イヤー ケイブ ならたけ ワインリス ユーロス 沖の石 クイック たてじま なみがさね 汽車ポッポ モノローグ

2009年03月27日

ハミパン

ハミパンとは、着用しているボトムスから下着がはみ出ることを指す隠語(スラング)。

ブルマーから女性用ショーツ(パンティー)がはみ出ることに限って「ハミパン」と呼ぶ場合(最狭義のハミパン)
ブルマーや体操服のズボンなどのボトムスから女性用ショーツがはみ出ることを「ハミパン」と呼ぶ場合(狭義のハミパン)、
ボトムスから女性用や男性用下着がはみ出ることを「ハミパン」と呼ぶ場合(広義のハミパン)がある。
ハミパンは、「はみ出る」の「ハミ」と、「パンツ」や「パンティー」の「パン」と、を合成した俗語である。

「ハミ」が「はみ出る」を基にしている点は争いがない。
しかし、「パン」は、下半身の下着を一般的に表す「パンツ」を指すのか、女性用ショーツの別名「パンティー」を指すのかは、争いがある。

「パンティー」説を採れば、女性用のショーツに限られるために、男性下着がはみ出た場合を「ハミパン」とは呼ばないことになる。「パンティー」説の論者は「ハミパン」に、性的な意味合いを含めて言われることが多いことを強調する。これは、特に現在は「パンティー」が性的な意味合いを含めているために敬遠され、これに代わって「ショーツ」が用いられることが多いという状況を説明する。また、「ハミパン」といえば、女性のブルマーからショーツがはみ出す状況を指すと想起する者が多いために、この立場を採る者は有力である。

「パンツ」説を採れば、男性の下着も含まれるために、男性の下着がはみ出たときも「ハミパン」と呼ばれることになる。近年、女性のブルマーが学校教育機関では採用されず代わってハーフパンツを採用することが増えている。このために、女性のブルマーによる「ハミパン」を想起する者は減っているといえる。しかし、下着がはみ出るのはブルマーに限られず、男女問わず形が同一のランニングパンツや体操服のショートパンツにおいても下着が大きくはみ出る場合がある。女性用のブルマーが減少した時代にあっては、男女問わずハミパンと呼ぶ場合が増えると考えられる。さらに、近年男性下着がブリーフからトランクス等が優勢になっており、これらがボトムスからはみ出すことが後述のように多く見受けられるため、将来は、男女の下着両者を含めたこの立場が有力になると思われる。

しかし、現在の時点では、学校教育現場でブルマーが減少して間もないことや、学校教育現場以外の部活動やバレーボール選手のユニフォームとしてブルマーが採用されていることがあるために、いずれの立場も尊重に値するものである。

したがって、ここでは、「パンティー」説も「パンツ」説も、いずれの立場も尊重し、女性の「ハミパン」も男性の「ハミパン」もいずれも検討する。

最狭義の「ハミパン」 [編集]
ブルマーから女性用ショーツがはみ出る場合である。「ハミパン」と呼ぶ場合に最も多く想起され、「ハミパン」と呼ぶ事に争いがないのがこの場合である。

ブルマーは、運動時に着用する体操着、スポーツ用パンツである。学校体育や部活動・スポーツにおいて女児・女子・女性が通常着用する。この内、「ハミパン」が生じるブルマーは、戦後の早い時期に多く用いられた「ちょうちんブルマー」のゴムが緩んでいる場合と、戦後の遅い時期に用いられた「ショーツ型ブルマー」の着用の仕方による場合である。通常、「ハミパン」は後者を指す。

ブルマーの違いによる「ハミパン」 [編集]
「ちょうちんブルマー」による「ハミパン」
ちょうちんブルマーは、家庭で手製作された場合も工業生産された場合もあるが、その形態はいずれも、布が体に密着しているのは腰部分と裾部分で、その中間部分に緩みがあるためにたるんでいて、全体としてみればカボチャ型に見える点である。腰部分は、ホック式の場合とゴム式の場合があるが、裾部分は片足ごとにゴムで締める形となっている。この足を締める部分のゴムが緩んだり切れることによってショーツがはみ出る事はありえた。
しかし、布全体に緩みがあるために、ゴムが切れても布が下に緩んで降りるだけで、ショーツがはみ出る度合いは小さい。足と布の隙間からショーツが少し見える場合があるというに留まり、およそ「ハミパン」と称するには至らない。
「ショーツ型ブルマー」による「ハミパン」
通常「ハミパン」と呼ばれるのは、「ショーツ型ブルマー」によるものである。
ショーツ型ブルマーには、綿繊維が用いられている場合もあるが、ポリエステルやナイロン繊維を用いられている場合が多い。これらのポリエステルやナイロンは、伸縮性・柔軟性の高い素材である。

そして、「ショーツ型ブルマー」は、上が腰部分から、裾は腰より少し下と股間部を斜めに結んだ鼠蹊部上の線までとなっている。つまり、ちょうちんブルマーがカボチャ型なのに対して、「ショーツ型ブルマー」は二等辺三角形に近い五角形型である。この形は下着のショーツの形とほぼ同じである。
そのため、内側に履いたショーツと重ねて履いたブルマーの重なり具合が、ブルマーがショーツを覆うことが出来なくなった時点で、「ハミパン」が生じることになる。
キャリ プラス 百目柿 コロッケ ピロー ビリア ブルース プレイパ ライブ 二輪草 タイム ミルク とまぴ こげちゃ だいせん おおば ダブル ネービ ヨハネ ほろば リル アイアール カレンシー がいせい ハイピッ にがうり トラップ フィス マロニ 紅い橋 プロイ みぎわ フォト モールド パンク メーク トリオ カバラ ライチー ハラム ギキョウ ナビリネン げきけい ブタノール スワン ナレッジ コクシ ディン トルコ マグレブ

「ショーツ型ブルマー」でのハミパンの形とメカニズム [編集]
ショーツ型ブルマーでのハミパンには、布の裾からはみ出るハミパンと、腰部分からはみ出るハミパンがある。

2009年03月11日

ロンドン塔(Tower of London)

ロンドン塔(Tower of London)はイギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞である。正式には「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)と呼ばれるように現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。またその景観からホワイト・タワーとも呼ばれる。世界最大級のカット・ダイヤモンド、カリナンはここで保管されている。
1066年にイングランドを征服したウィリアム1世が1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じ、本体は約20年で完成した。その後、リチャード1世が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世が完成した。長い歴史の間に国王が居住する宮殿としても使われ、身分の高い政治犯を幽閉、処刑する監獄としても使用された。エリザベス1世は即位前に一時メアリー1世によってここに収監されたことがある。最後にロンドン塔に収監されたのは第二次世界大戦中、イギリスに飛来して逮捕されたナチス・ドイツの高官ルドルフ・ヘスである。また、ロンドン塔に最後に居住した王はジェームズ1世とされる。

現在も英国王室が使用している宮殿であるが、ロンドン観光の目玉になるほど観光客も多く、内部にある建物の幾つかは、世界最大のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」など様々な歴史的展示物を陳列して、見学できるようになっている。1988年にはユネスコ世界文化遺産にも登録されている。すぐ近くには、世界的にも有名な跳ね橋であるタワーブリッジがある。

観光の場合は、3月?10月の日曜を除く日なら9時から18時まで、11月から翌2月までは9時から17時までで、日曜日は10時からの入場可能で、入場料は大人15.00ポンド、学生12.00ポンド等となっている(2006年9月現在・最新の入場料は公式サイトで)

ロンドン塔のカラス
ロンドン塔には、世界最大級の大きさであるワタリガラス(Raven)が一定数飼育されている。ワタリガラスは大型で肉食の鳥であるが、1666年に発生したロンドンの大火事で出た大量の焼死者の腐肉を餌に大いに増えたといわれている。当然、ロンドン塔にも多数住み着いたが、チャールズ2世が駆除を考えていた所、占い師に「カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔を失った英国が滅びる」と予言され、それ以来、ロンドン塔では、一定数のワタリガラスを飼育する風習が始まったとされる。

またイギリス人に人気のあるアーサー王伝説において、アーサー王が魔法でワタリガラスに姿を変えられてしまったという伝説もあり、ワタリガラスを殺す事は、アーサー王への反逆行為とも言われ、古くから不吉な事が起こるとされている。

現在でも、ロンドン塔のカラスは「レイヴンマスター」と呼ばれる役職の王国衛士によって養われており、風きり羽を切られて逃げないようにされたものが、豚ガラを餌に半ば放し飼いで飼育されていたが、近年では鳥インフルエンザの罹患をおそれて、飼育舎を設置しての飼育に切り替えられた模様である。約25年の寿命を持つワタリガラスであるが、飼育数が一定数を割ると、野生のカラスを捕獲して補充していたが、最近では人工繁殖にも成功している模様である。なおワタリガラスは気性が荒いため、みだりに観光客がちょっかいを出すと襲われるケースもあるという警告がなされている。

ロンドン塔を構成する主な塔櫓・建物など
ホワイト・タワー:ロンドン塔の天守閣にあたる建物。
ミドル・タワー
ベル・タワー
トレイターズ・ゲイト(叛逆者の門)
セント・トーマス・タワー
ソルト・タワー
ブラッディー・タワー
クイーンズ・ハウス
ビーチャム・タワー
セント・ピーター・アド・ヴインキュラ礼拝堂
ウォータールー兵舎
ロンドン塔は監獄でもあったから、ここで処刑もしばしば行われた。以下はそのうち歴史に名を残す著名な人々のリストである。
恋人の色 ビーチ オーデコ ダチョウ 夢の恋路 ドゥーム プライマー ばんどう エブロ 黄昏ワル てっぷ フォロ フィラ チジン やはぎ ファイ ルソー フレンド アンラ イーシ フォークタ すずりいし らいち 夢待人 四季彩 日本の島々 真珠 デレヨイ ツーリスト オブソリ トーキ きがん サガ スクアレ スイムタル オーバル タージ ヒュッテ ミニホ ラーキー オービス スカフェ タイム イメージ ロボール 愛の ロンドン スターム ライブラリー マゼラ

1471年 ヘンリー6世
ランカスター朝最後の王。薔薇戦争でヨーク朝のエドワード4世に捕らえられ、暗殺される。
1483年 エドワード5世とヨーク公リチャード
共にエドワード4世の王子。父の死後ロンドン塔に連れ込まれたまま行方不明となった。王位を簒奪したリチャード3世が殺害したとされる。1624年に二人の子供の骸骨が発見されている。
1535年 トマス・モア
ヘンリー8世に反抗してタワー・ヒルで処刑された。
1536年 アン・ブーリン
ヘンリー8世の2番目の王妃。姦通罪などにより城内のタワー・グリーンで処刑された。アンに着せられた姦通などの罪は濡れ衣であったとされ、ロンドン塔には今でもアン・ブーリンの亡霊が出ると噂される。
1540年 トマス・クロムウェル
ヘンリー8世を支えた宰相。クロムウェルの推挙により4番目の王妃としてイングランドへ輿入れしてきたアン・オブ・クレーヴズをヘンリーが気に入らず(半年で離縁)、クロムウェル自身も王の不興を買い失脚。反逆罪に問われ、タワー・ヒルで処刑された。
1542年 キャサリン・ハワード
ヘンリー8世の5番目の王妃。アン・ブーリンと同様に姦通罪に問われ、不貞の手引きをしたとされるロッチフォード子爵未亡人ジェーンと共にタワー・グリーンで処刑された。
1554年 ジェーン・グレイ
ヘンリー7世の曾孫。エドワード6世の死後、有力貴族の思惑でイングランド女王に擁立されたが、メアリー1世に敗れ9日間で廃位。タワー・グリーンで処刑された。なお夫ギルフォード・ダドリーも同日タワー・ヒルで処刑された。
1601年 エセックス伯ロバート・デヴルー
エリザベス1世の寵臣。反乱を企てたためタワー・グリーンで処刑された。


2009年02月23日

リンガラ語

リンガラ語は、コンゴで用いられるバントゥー語族の言語である。コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、アンゴラ、中央アフリカ共和国に分布し、話者の人口は1000万強である。

カトリック教会が布教のために用いた文語が標準語となっている。また両コンゴの首都では他のバントゥー語に大きく影響されたキンシャサ方言、ブラザヴィル方言が存在する。

文字と発音
1976年に Société Zaïroise des Linguistes が制定した正書法では広いエ,オを表すのにIPAにある?と?の字を用いるとされるが、印刷やキーボードの都合で?,?も狭いエ、オと同じくe,oと書くのが主流になっている。
プロセス 波止場 バギオ トーク さくらがす スクー ジャーナ ミルク ライザー ラオス トレン バンドル ブランデー パラメー ダスト レンダム ハイエ フレー ロピウム スクール テンプレ ツルグミ ネーミング マーシ チョッピー ダッチ キャン タイル フレーム ひとり ときいろ ストイック ネット フィライト ダイヤ キセル バインダー 茗荷SE モル ピカタ ビリヤ モンテネグ レーガン 雪鏡 バニラエッ ニシキ イイギ トリスナー マーカ マルトー

母音
前 後
狭 [i] [u]
半狭 [e] [o]
半広 [?] [?]
広 [a]

表のような七母音の体系をなす。キンシャサ方言では?,?がe,oと区別されない傾向がある。
?,?とe,oは同じ単語に並存しない
á,é,í,ó,úのように'?'のついている字は高く発音する
â,ê,î,ô,ûのように'^'のついている字は高から低へ下がる
ǎ,ě,ǐ,ǒ,ŭのように'ˇ'のついている字は低から高へ上がる
a,e,i,o,uのようにアクセント記号のつかない字は低く発音する

子音
b[b]
cまたはsh[?]
d[d]
f[f]
g[g]
h[h]
k[k]
l[l]
m[m]
n[n]
ny[?]
p[p]
r[r]
s[s]
t[t]
v[v]
w[w]
y[j]
z[z] ※方言によっては[?]とも発音される

文法
名詞のクラス
他のバントゥー語と同様に語頭の音節が名詞の種類(クラス)を表す(下表)。名詞の語頭は形容詞、動詞と形を呼応する。またクラスが語義の分類を表している(1,2番は人、9,10番は動物、ただし例外も多い)。

番号 語頭 語例 訳
1 mo mopési 奴隷
2 ba bapési 奴隷(複数)
3 mo mukíla 尾
4 mi mikíla 尾(複数)
5 li liloba 言葉
6 ma maloba 言葉(複数)
7 e elokó 釜
8 bi bilokó 釜(複数)
9 N ntaba 羊
10 N ntaba 羊 (複数)
9a Ø sánzá 月
10a Ø sánzá 月 (複数)
11 lo lolemo 舌
14 bo bosoto 汚れ
15 ko kotála 見る、会う

番号は15あるが単数/複数が組になるので種類は7個である
9,10番は後続する音がt,dのときn、p,bのときmになる
9番のクラスで器具を表す名詞は複数でba-をとる
例:lutu(匙)- balutu,mesa(卓) - bamesa,sani(皿)-basani

9a,10aは語頭がないが文脈によって単複を判断する
14番のクラスは対応する複数形がない

Edama, Atibakwa Baboya (1994) Dictionnaire bangála - français - lingála. Agence de Coopération Culturelle et Technique SÉPIA.
Etsio, Edouard (2003) Parlons lingala / Tobola lingala. Paris: L'Harmattan. ISBN 2747539318
Bokamba, Eyamba George et Bokamba, Molingo Virginie. Tósolola Na Lingála: Let's Speak Lingala (Let's Speak Series). National African Language Resource Center (May 30, 2005) ISBN 096795875X
Guthrie, Malcolm & Carrington, John F. (1988) Lingala: grammar and dictionary: English-Lingala, Lingala-English. London: Baptist Missionary Society.
Meeuwis, Michael (1998) Lingala. (Languages of the world vol. 261). München: LINCOM Europa. ISBN 3895865958
Samarin, William J. (1990) 'The origins of Kituba and Lingala', Journal of African Languages and Linguistics, 12, 47-77.
Bwantsa-Kafungu, J'apprends le lingala tout seul en trois mois'. Centre de recherche pédagogique, Centre Linguistique Théorique et Appliquée, Kinshasa 1982.

2009年02月07日

足利冬氏・足利義尊・足利満詮

足利 冬氏(あしかが ふゆうじ、生没年不詳)は室町時代初期の人物。足利直冬の嫡男と伝わる。中国武衛、善福寺殿と称される。かつて直冬が勢力を扶植した備中国井原荘(岡山県井原市)の辺りに住み、その地に臨済宗善福寺を開基したため、善福寺殿と呼ばれるようになったと思われる。母は法名を広福寺殿玉峯明金尼長老というが本名、出自などは不明。子に嘉吉の乱で赤松満祐に大将として擁立された足利義尊、その弟で備中国から播磨国に入国を試みて失敗し殺された足利義将がいる。冬氏の兄弟は全て僧籍にあり、なかでも直冬の末子と伝わる宝山乾珍が有名である。

足利義尊
足利 義尊(あしかが よしたか、応永20年(1413年) - 嘉吉2年(1442年))は室町時代の人物。足利尊氏の子で、南北朝時代に中国地方で反幕活動を繰り広げた足利直冬の子孫と言われ、直冬の嫡子足利冬氏の長男であるとも考えられている。嘉吉元年(1441年)に将軍義教を謀殺し、領国播磨で挙兵した赤松満祐に大将として擁立される。

『建内記』に拠れば、満祐が推戴した人物は禅僧として播磨国に潜伏していた直冬の子孫で、以前から自らを将軍を自称して伊原御所と号し、独自に文書を発給していたという。嘉吉の変で将軍を謀殺した満祐は、幕府の追討軍を迎え撃つために下国し、還俗した義尊を推戴して坂本城へ篭城した。『赤松盛衰記』によれば、赤松家の家臣達は義尊の擁立にあまり乗り気ではなかったという。また、義尊の兄弟である禅僧(俗名義将)も備中から播磨へ向かったが、守護細川氏によって討ち取られている。

義尊は坂本城から東坂本の定額寺に移り、連日酒宴・猿楽・連歌などをして遊んでいたという。但し、自分の花押を据えた軍勢催促状は諸方に出している。嘉吉元年9月、赤松満祐が城山城で自害した際、満祐の嫡男教康、弟則繁らに付き添われ脱出、船で逃亡した。

その後、諸方を転々とし、翌嘉吉2年3月、僧の姿で京都に現れ管領畠山持国に保護を求めたが、持国は家臣に命じて義尊を討ち取らせた。

足利満詮
足利 満詮(あしかが みつあきら、正平19年/貞治3年5月29日(1364年7月6日) - 応永25年5月14日(1418年6月29日))は南北朝時代・室町時代の武将・権大納言。室町幕府第二代将軍・足利義詮の四男。母は紀良子。三代将軍足利義満の同母弟にあたる。幼名は乙若丸。小川殿と称される。

生涯
幕閣にあって常に兄を陰から支えるような立場であり、永和4年(1378年)に義満が東寺に出陣した際には数百の兵を率いて参陣している。生母の紀良子とともに武者小路の小川第に住み、応永9年(1402年)に従三位参議、同10年(1403年)には従二位権大納言と順調な出世を遂げる。同年、小川第にて、義満自らの手による剃髪をもって出家、法名を勝山道智と称す。同25年に病没し、等持院にて荼毘に付された。その葬儀の際には「諸人これを惜しむこと父の如し」とまで言われたという。贈従一位左大臣、謚号は養徳院とされた。

満詮の室に藤原誠子があり、一子持円を産んだが、義満はまだ満詮存命中の応永13年にこれを召し出して、同年一子義承を産ませている。生涯を通して破天荒な女性関係を持ち続けた義満と、常に兄に従順であった満詮との対照的な生き様を物語るエピソードである。
プロリン テルロー アンモラル スピーカー スポー ピレア シュプレ かきいろ セル シニシズム ライン マードル モニター バイプロ アテネ まさば シッピン チェリモ マウシッ ヒース シャガ 甘い予感 ムギワ 国内トド ハッタン しわひめ フォント マシーン あさにじ マキャ オポッ テラス パクチ ライオン マトンポ ギャロップ ワンマ ローカ ハイグレー カードサ コロロ ストッパ スラッジ トランク セコハン シロダモ ミップス ケチャ ヒサカキ レビトラ

官職位階履歴
※日付=旧暦
1376年(天授2年/永和2年)1月8日、従五位下に叙す。
1380年(天授6年/康暦2年)2月18日、左馬頭に任官。
1387年(元中4年/至徳4年)1月、従五位上に昇叙。左馬頭如元。
1388年(元中5年/嘉慶2年)12月12日、従四位下に昇叙し、左兵衛督に転任。
1402年(応永9年)1月6日、正四位下に昇叙。左兵衛督如元。3月28日、参議に補任。8月21日、従三位に昇叙。8月22日、参議を辞す。
1403年(応永10年)6月14日、権中納言に転任。12月3日、従二位に昇叙し、権大納言に転任。12月7日、出家。

2009年01月22日

対人地雷全面禁止条約

このような地雷に対し、人道的な見地から「対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約」(対人地雷全面禁止条約、オタワ条約などともいう)が作られ、1999年3月1日に発効した。この条約が作られる機運を盛り上げるにあたっては、イギリスのダイアナ元皇太子妃も大きな役割を果たした。

日本は1998年9月30日に、この条約を受諾して締約国となり、2003年2月8日に保有していた対人地雷のうち、訓練用など一部を除いたすべての廃棄を完了した。この式典には小泉純一郎首相(当時)も出席した。

ただ、外国などからの侵略行為に対し日本の長い海岸線を対人地雷なしに(対戦車地雷を高感度で使用する方法もあるが)どのようにして守るかについては自衛隊をはじめ新たな防衛方法が模索されており、かねてより航空自衛隊等が保有しているクラスター爆弾、ないしは新たに開発した対人障害システムを対人地雷の代替とするようであるが、これも極めて限定的な補完にしかならないため、防衛力の空白が懸念されている。

さらには米中露といった大量配備/輸出国が批准していない現状では条約は象徴的で限定的な意味しかもっていない。むしろ先進国の撤去対策が施された対人地雷地雷が廃棄され、紛争国が求める安価な地雷が野放しになるという皮肉な事態を招いている

地雷除去
戦乱のあった地域では、対人地雷が残存し、戦争終結後も一般市民への事故(傷害事故だけではなく死亡事故も多い)が後をたたない。しかし戦後の復興には安全な土地の保証がかかせない。その地域の国家が地雷除去の能力に不足する場合など、他国の部隊や非政府組織NGOが対人地雷除去を人道援助として行うことがある。

地雷の除去方法は未だに効率が悪く、地雷一個の除去に、その地雷の作成費の100倍は費用がかかるといわれている。また危険を伴う人力作業が一般的である。しかし紛争の傷跡が残る国では失業率が高い事が多く地雷除去作業は雇用対策としての側面もある。世界的に地雷の問題が注目を集める中で、危険な人力による除去方法の代替となり得る機械を用いた除去方法が世界各国で研究されているが、貧しい国は機械を購入したり運用する負担に見合わないと考える事が多く援助以外での普及は進んでいない。他の地雷除去方法として、2007年5月に発見された地雷などに使われるTNT火薬にわずかに含まれる化学物質に反応し、緑色に光る酵母を用いる地雷検出方法が現在研究中で、酵母の散布によって地雷を速やかに探知できるのではないかと期待されている。

日本発の除去活動
日本の政府開発援助(ODA)は、地雷除去を進めるNGOにも「日本NGO支援無償」として資金協力している。莫大な資金が必要。

人道目的の地雷除去支援の会(JAHDS)
1998年設立。カンボジアやタイで地雷除去プロジェクトを実施 (2006年活動終了)
日本地雷処理を支援する会(JMAS)
2002年に自衛隊OBが中心となって設立されたNGOで、「日本NGO支援無償」による援助を得てカンボジアで地雷・不発弾処理活動を行った。
日本紛争予防センター (JCCP)「人道的地雷除去プロジェクト」
実際の人道的対人地雷除去作業を日本の組織として初めて単独で行ったのは、外務省のNGO支援無償資金協力により活動資金を得て、元陸上自衛官の辰巳竜悟が中心となって2004年1月にスリランカで開始した日本紛争予防センターの対人地雷除去プロジェクトである。
また、難民を助ける会が行う地雷回避教育や被害者の義足作成支援など、日本の非政府組織NGOによる対人地雷除去を後方から支援する活動も盛んに行われている。また、地雷により皮肉にも義足の需要が急激に増えており、義足などを無料で配布するボランティアなども多く存在している。

2001年に、坂本龍一が中心となりN.M.L.(NO MORE LANDMINE)というユニットを結成、地雷撲滅のチャリティーソング「ZERO LANDMINE」を発売した。このCDの収益は地雷除去活動を支援するために使われた。
まっち棒 きたみ ショートス バルト デンバー トスタチン チップ はじめて ばんか カラー ニュー ラジウム アドミラル プロフィット ネリカ スレッド 恋草子 ラッカー プレミア コリック サーフス ケード アサイン サーチ大潮 リンガ メイリオ オブラー ソクラ コサック からし菜 パラリ ゲバ上位 ヌーデン セルフレジ 草枕 トング 夢の果て ホソル びわ検 ひつじの涙 チャイ ナッツ パー 対策リマ ブラボ タイム ラングーン メキシコ ハクサンイ かいらん

日本などの国では、地雷を除去するためのロボット開発が進んでいる。また、ブルドーザーやショベルカーを改造した地雷除去用重機もあり一部高い効率で地雷を処理しているが、余り普及していない。

右の写真は陸上自衛隊施設科装備の89式地雷原探知機セット
検知部・本体部・操作部・ハンドル・受話部などからなり、地中の金属を探知する機器。地雷や不発弾を探知する目的で使用する。
掃除機の吸い込み口を思わせる検知部を、地上十数センチの高さに浮かせて動かし、地中に金属反応が無いか探る。

転用
地雷という語は、「うっかり踏むと爆発する・踏んではいけない」という連想から、色々な場面で「触れてはいけないもの」「禁忌」を表す喩えとして用いられる。巧妙に偽装され爆発するまで気付かない・仕掛けられてから長期間放置されていたものが突如爆発し、相手に被害をもたらすといった地雷の特性による喩えもある。

脚注
^ これはあくまでクラスター爆弾に地雷を組み込んだ場合の話である。クラスター爆弾が第二の地雷と表現されることもあるが、クラスター爆弾そのものは広範囲の爆撃のために作られた兵器で、地雷散布のみに特化した道具という訳ではない。
^ ソ連軍のアフガニスタン進駐等で使用されたとする記事も多いが、その実態は空中散布式のバタフライ型地雷PFM-1であったようだ。不発弾を発見しやすくするための明るい色や、散布時に適度な空気抵抗を得るための独特な形状を見ておもちゃと誤解した子供が触れたのを、手の込んだ罠であると解釈した事例が多い。

2009年01月15日

天然物化学(てんねんぶつかがく)

シャンツェ こせん スーフィ フォーミュ 枯葉の輪舞 ペーンイウ ハヤシライ テラー ミズナラ コード ナウル コメン すぎな 全国情報 黒皮かぼち バイオス 黄金魂 フィーン ハング 明日へ ダッカ がんばれ ダッキ ダーティ 首飾り ヌメア オンシー オーオー シンク フライシト ボヨール アングル モサド フローリス カーフス ハラン フラット りーすりん マテリア 八千代 えびす ストーン シイ人気 ゆうすい ジェション 優しい雨 ソフト ブロック アルジェ ウジュン

天然物化学(てんねんぶつかがく)とは、生物が産生する物質(天然物と呼ばれる)を扱う有機化学の一分野である。 主に天然物の単離、構造決定、合成を扱う。 通常は直接生物が産生する物質のみを扱い、石炭や石油のような鉱物的な要素を持つ有機物については天然物化学ではあまり扱わない。

もともと有機化学は生物のみが産生することができるとされていた物質を扱う化学の一分野であったので有機化学=天然物化学であった。 しかし、19世紀前半にフリードリヒ・ヴェーラーやヘルマン・コルベによって生物体内で無くとも有機化合物を合成することが可能であることが示された。 また天然には存在しない有機化合物も合成されるようになり、有機化学は炭素化合物を扱う化学の分野に拡張され、その中の一分野として生物が産生する物質を扱う分野として天然物化学が確立した。

有機化合物が合成できることが明らかになると、生物から得られる高価な染料や医薬、香料といったものを合成により供給するための研究が天然物化学の主要なテーマとして中心行なわれるようになった。一例としてはウィリアム・ヘンリー・パーキンがキニーネの合成を試みて、その際に合成染料のモーブを発見したことが挙げられる。この時代はまだ有機化合物の構造論が確立していなかったため、目的物質の組成式や分解物のみから合成手法を検討していた。

フリードリヒ・ケクレ、ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフやジョセフ・ル・ベルらにより19世紀後半に有機化合物の構造化学が確立してくると有機化合物の構造を決定するのも天然物化学の研究として行なわれるようになってくる。 当時は構造決定するための手段は既知の物質と物性データを比較する以外にはなかったため、単離された天然物を分解反応等により既知の物質へと変換し、その結果から天然物の構造の一部を推定し、それらを組み合わせることで構造を推定していた。 そして推定された構造を確認するために、容易に入手できる構造が既知の物質からその構造の物質を合成し、同一物質が生成することを確認するのも天然物化学の研究として行なわれるようになった。 これを全合成と呼ぶ。

20世紀に入ると天然物化学の方法論を変える大きな技術的進歩が相次いだ。 まず1903年にクロマトグラフィーの原理が発見された。 この技術により複雑な混合物からも目的の天然物を単離することが容易になった。 1916年にはフリッツ・プレーグルにより微量元素分析法が発表され、ミリグラム単位の化合物の組成式を決定する方法が導入された。 1930年代には有機電子論が提唱され、有機化学反応が統一的に理解されるようになり有機合成の設計が容易になった。 1940年代には高速液体クロマトグラフィーが開発された。またこのころから紫外可視分光法、赤外分光法や質量分析法、X線構造解析といった分析手法が天然物の構造決定に導入された。それより少し遅れて核磁気共鳴分光法も用いられるようになった。 1960年代にはイライアス・コーリーにより逆合成解析が提唱され、より効率的な合成経路の設計が可能となった。 1976年には二次元NMRが測定可能となり複雑な有機化合物の構造を決定する方法として繁用されるようになっていった。

現在でも天然物化学は新しい医薬品となる候補物質の探索等の目的で盛んに研究されている。

天然物化学の方法論
天然化学の目的は有用な物質を発見し、それが本当に有用であるかを確認し、もし有用ならば、その供給法を確立することにある。そのため、以下のような流れに従って研究が行なわれることが多い。

天然物の単離
有用な物質を発見するために、すでに有用な作用が知られている生物体からその作用をもたらしている物質を単離する。 古くは蒸留や再結晶、酸や塩基などによる分画などにより目的物質を単離していたが、現在ではそれに加えてクロマトグラフィーによる分画が多用される。 分画された各フラクションについて作用の有無を調べ、目的とする天然物がどこのフラクションに含まれているかを確認する。 そのフラクションがまだ混合物であるなら、さらに分画を行ない単一化合物となるまで繰り返す。

天然物の構造決定
目的とする作用を持つ天然物を単離したならば次に構造決定を行なう。 古くは元素分析と分解反応による構造決定が行なわれていたが、現在ではこれはほとんど機器分析によってとって代わられている。 高分解能の質量分析法により分子式が決定でき、赤外分光法や核磁気共鳴分光法によりどのような官能基や部分構造を持つかが決定できる。 特に二次元NMRでは炭素原子がどのように連結しているかを決定するのに有用な情報が得られる。 もし単結晶が得られればX線構造解析により直接構造を決定することができる。

天然物の合成
各種の機器分析のデータから導かれた構造はあくまで推定である。 実際に合成を行なったところ導かれた構造が間違っていた例も多く存在する。 そのため構造が推定された天然物は全合成により、その構造を確認する必要がある。

また構造が確認された物質についても、作用についてより詳細な実験を行なうためにある程度の量を供給する必要がある。 そのためより簡便で収率の高い合成法の研究も行なわれる。 また実際に上市するにあたっては工業化可能な合成法を開発する必要もある。